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社説「『竹島』の妥協は非現実的」
 「竹島」をめぐって日韓は激しい対立を見せたが、昨日一定の合意にこぎつけた。日本は海洋調査を中止する一方で、韓国は国際会議での韓国名表記提案を行わないとの内容だ。日韓の次官級協議は、毎度おなじみの「妥協」という形を探り当てたものだったが、今回もまた日本は外交カードを自ら捨て、なんら根本的解決をみないような協議であったと受け止めている。
 日本の外交カードとは、国連海洋条約と国際世論である。海洋条約では海洋調査は正当な行為として認められている。つまり、日本の海洋調査に対して韓国の海洋警察庁が攻撃を仕掛ければ、海洋条約違反として韓国を訴えることが出来たはずだ。また、国際世論についても、日本は、韓国による過去4回の海洋調査に対して抗議したものの武力攻撃はしなかった。その上で、韓国が武力攻撃をしなかった日本に先制攻撃を加えたとすれば、韓国に対して厳しい国際世論が注がれることになったであろう。
 いずれにせよ、今回の海洋調査問題は、日本にとって、世界に竹島問題をアッピールし、国際問題にしたくない韓国を国際会議の場に引き入れることが出来る絶好の機会だったにもかかわらず、日本はいとも簡単に妥協という形で外交カードを放棄してしまったのである。
 報道によれば、韓国ノムヒョン政権は支持率が低下してきているという。政権浮揚の具として武力衝突も辞さない強硬な対応に出たことは間違いなく、6月に開催される竹島周辺のEEZ境界線交渉は、平行線を辿るだけのあてのないレースとなるに違いない。今回の日韓合意について、現実的選択として評価される向きもあるが、現実的選択の積み重ねは非現実的な結果を招くだけだということを改めて認識したい。
(執筆:論説主幹 大槻磐渓)
正論「堅調な日本語の需要」
 日本人として、外国人が自国の言葉や文化を勉強してくれるのはとてもうれしいことである。ここで、興味深いのは「なぜ日本語を勉強しているのか?」ということである。日本相手に商売したいのだろうか?なんとなくかっこいいからなのか?日本の女を口説きたいからなのか?
 話は変わるが、ここ数年で中国語の需要が指数関数的に跳ね上がっているらしい。私が働いている大学の日本語教室の講師が言うには、今年中国語を履修している学生の数は、日本語のそれと比べると5倍以上らしい。確かに、日本語のオフィスの階下にある中国語のオフィスはいつも多くの学生でにぎやかだ。授業でわからない部分を質問しにきたり、発音の練習をしている声がいつもしている。某省庁から派遣されてきている日本人の友人もなぜか履修している。ここ最近の急速な経済成長による、中国の存在感の膨張を如実に反映しているのだろう。
 「じゃあ、日本は不況だし日本語学習者は軒並み減っているんでしょうね。」と、その10年来の日本語の講師に、ある日尋ねてみた。「そうでもないよ。横ばいでずっと変わらないね。」。一定の需要があるらしい。日本文学、人類学、歴史を勉強している研究生は一定量いるような気がするが、それだけではなさそうだ。そんなことを考えているとある日の授業での会話が頭に浮かんできた。それは、ふとしたことから日本のアニメの話題になり「エヴァンゲリオン」という言葉が出た直後、今まで退屈そうに胡坐をかいていた学生もみな身を乗り出して話に参加してきたのだ。私が苦笑していると、「みんなアニメの話になると元気になるのよ。」とアメリカ人の学生が言ってきた。
 日本のポップカルチャー、とくにアニメは、洋の東西を問わず世界を席巻している。「エヴァンゲリオン」のほかにも、「ポケモン」、「Yuh-gi-Oh!」、その他もろもろだ。そういえば、カリフォルニアに昨夏滞在していたときには、日本アニメ専門のショップを見つけた。それも、某有名大学の目の前で。ペルー人の友人が言うには、彼の息子はポケモンが大好きで、「クリスマスにポケモンのおもちゃをあげたいな。」と言っていた。香港人の友人は「ドラゴンボール」を見て育ったらしい。私が所属する学部の入試係のおばさんの家にThanksgivingで招待されたとき、孫たちが「ポケモンが…いや、今はyuh-gi-Oh!のほうがクールよ。」なんていう話を熱くしていた。
 なるほど、少しなぞが解けたような気がした。わたしは、アニメにはほとんど興味がないため、このような状況にとても驚いた。そして、日本人として少しだけ誇らしい気もした。誤解のないように言っておくと、上記のアニメだけでなく宮崎駿ももちろん有名だし、話を広げると例えば、世界の黒澤明はほとんどの人間が知っている。経済が沈滞化し、最近よい話題のない日本が、こんな所で圧倒的な存在感を発揮していようとは。日本の伝統文化もすばらしいと思うが、これらのポップカルチャーにももっと目を向けてみたいと海外で思った次第である。
(弊紙専属『正論』執筆者:米国在住 武田菱)
正論「国際社会で通用しない日本的な考え方」
 昨年、新しい歴史教科書をつくる会が作製した歴史教科書が日中関係に大きな緊張をもたらしたことは記憶に新しい。アジア諸国への波及にとどまらず、欧米各国メディアもこぞって一大ニュースとして取り上げて、議論を展開していた。
 さて、先学期私は、在米大学の日本語上級クラスの助手として雇われて、ディスカッションを一コマ任された。上級クラスだけあって日本語をある程度操れる学生が集まっており、国籍も米国をはじめ中国、韓国、ベルギー、ウルグアイ、メキシコなど様々だった。ディスカッションの話題としては、日本の社会問題、時事ニュース、文化、歴史などを教科書に沿って幅広く取り扱った。ある日の話題で、日本の教科書問題が焦点となったので、そのときの話を書き留めたい。
 予想通り、最初の議論の的は南京大虐殺であった。私も、夏に帰国した際に新しい歴史教科書に目を通していたので、ある程度答えることができた。「南京大虐殺はなかった。」とは決して書かれていない。死者の数や存在の有無についてさまざまな学説があると記述されていた、ということを伝えた。私自身も、南京大虐殺はなかったとは言わないが、少なくとも東京裁判においては証拠検証もされなかったようだし、詳細に関してははなはだ疑問点の多い事件であると考えている。江沢民政権下での反日教育では死者数が百万人まで「インフレ」を起こしたが、当時の南京の人口が25万人程度だったことを考えると、北京の歴史歪曲もはなはだしいと言うべきに違いない。
 日本に歴史教科書が何種類もあるということを知らない学生もいた。クラスにいた中国や韓国の学生は相当の日本通でそのことをよく知っていた。新しい歴史教科書は未だ数地区でしか使用されていない。また日本では、戦争の歴史を教えていない、あるいは戦争を美化している、などと考えている学生が多いことは残念だった。私は、はっきりと、小学校から高校まで南京大虐殺も含めて第二次大戦について勉強しましたと反論せざるを得なかった。挙句の果てに、日本は中国や韓国などに今まで一度も謝罪していないなどと言い出す学生がいた。我が国の歴代首相は、すでに18回も公の場で謝罪の言葉を述べている。金銭的補償も日中平和友好条約の際、またODAを経由して、これでもかと言わんばかりに行っている。このことを主張せざるを得なかった。こんな気前のいい国はない。ドイツはユダヤ人に対しては謝罪、補償したが、フランスやロシアなど被侵略国に対しては一切謝罪していない。イギリスやフランス、オランダは旧植民地国家に補償など一切していない。
 このやりとりから、各国の歴史教育なり情報なりにはかなりの相違があると考え、各国の歴史教科書についての議論に移った。中国の学生が口火を切り中国の教科書についての文句を言い始めた。中国では、言うまでもなく毛沢東の偉大さについて、そして反日教育に重点が置かれている一方で、文化大革命については一切教科書に書かれていない。韓国では、近代史に重点が置かれ、李氏朝鮮以前の歴史はほとんど扱わず、中国と同様に反日教育を施している。アメリカでは、ベトナム戦争についてはほとんど記述がないなどの意見も出た。翻って、日本の教科書群はいかに客観的に記述されているかというのが、私の印象だ。右左へのブレはあるが常軌を逸していない。ご承知の読者諸兄も多いだろうが、中国や韓国の歴史教育は、客観的な立場からではなく、多分に国家的思想を含ませて、時には事実をも歪曲しながら行われているのだ。
 日本人はこの教科書問題から窺える多大な相違を認識し、そして日本は外国に対してもっと自国の意見を主張すべきではないか。中国や韓国、そして米国など日本を取巻く国家による内政干渉や、不法占有、国連無視など国際ルールを全く無視した行動からも明らかなように、国際社会では、黙っていれば丸く収まるとか、落としどころを考えるとか、そのような日本的な考え方は一切通用しない。中韓や米国は日本人と同じ論理を持っているなどと決して考えるべきではないのだ。教科書の相違からわかるように、日本では全く非常識なことも彼らには常識でありうる。このことは海外に住み日常生活を送る中からも強く感じている。
(弊紙専属『正論』執筆者:米国在住 武田菱)
社説「中国の環境汚染も『脅威』」
 先般、米国産牛肉の輸入再開が決定、現在は店頭に並んでいる。米国産牛肉は、感染タンパクであるプリオンを検出するための検査体制を巡って輸入を停止していた。日本国内では、政府・国民とも米国産牛肉に対して異常と思えるほどの反応を示したが、実は、もっと過敏になるべき身近な食べ物がある。    
 それは、日本近海産の魚だ。今年はエチゼンクラゲの大発生が漁に大打撃を与えたのは衆知のとおりだが、そのエチゼンクラゲの大発生は、中国からの汚染された排水が原因とされている。まだ問題化していないが、早晩危険な化学物質を含んだ魚が日本近海から水揚げされるのではないかとの懸念もある。
 米国産牛肉は、100%の安全性が担保されているとはいえないものの、プリオンが存在する可能性が高い部位を除去している。それに比べ、日本近海で獲れた魚は、なんの検査を受けることもなく市場に出回っている。
 日本は戦後、環境汚染で水俣病やイタイイタイ病などの過酷な健康被害を経験している。今では、排出者である企業に対する規制が強化され、アスベスト被害以外に主だった健康被害は起きていない。しかし今度は、経済発展を続ける中国から流出した汚染排水により、公害病の再来という危険にさらされている。麻生外相や民主党の前原代表は、中国の軍拡を脅威と発言したが、中国の環境汚染も立派な「脅威」である。
 汚染発生源である中国は、政府が法律の強化によって対処することを表明したものの、その実効性には疑問符がついている。日本政府は、中国政府に対して汚染源に対する監視と情報公開を求めるべきであり、国内においては、水揚げされた魚に対する検査体制を早急に確立すべきである。
(執筆:論説主幹 大槻磐渓)
社説「税負担を求める先はほかにもある」
 先日、東京・麻布近辺を散策した。麻布十番や元麻布には寺が多く、ハイソサエティな住宅地と渾然一体となっている。しかし、奇妙なことに気づいた。寺には、宗教施設というにふさわしくない装飾や門構え、贅を尽くした建物にベンツやBMWなどの高級車が並んでいたのだった。
 江戸時代、寺では「寺子屋」が開かれるなど、寺は庶民に対する教育施設としての役割を担っていた。歴史的に寺は文化施設といえるが、現代の寺を見るに、そのような薫り高い文化性は見当たらない。無論、全ての寺がそうだというわけではないが、往々にして、寺がそのような世俗的な振る舞いをしているのは事実である。
 なにも寺だけではない。日本には数多の宗教法人があるが、とある宗教法人は、傘下の企業・団体を総じると年に数兆円の売上があるそうな。これから諸経費を差し引いたとしても、数億から数百億円の利益が残るであろう。
 寺をはじめとした宗教法人がそのように潤っているのは、いうまでもなく優遇税制で保護されているからである。祈祷などの純然たる宗教行為は非課税であるが、教義を流布するための有料機関誌発行等は収益事業とみなされ、課税対象となっている。しかしながら、そのような収益事業も、一般企業の収益に課される税金よりもかなり軽減されている。
 小泉首相は、在任中に消費税を増税しないという立場をとっており、最近は国民に負担をかけないかのような演技をしているが、数年前に実施されたサラリーマンに対する総報酬制や社会保障制度の見直しにより、陰に陽に国民に痛みを求めている。しかしながら、事実上一般の企業のごとく商売をやっている寺などの宗教法人には、いまだ痛みを求めていない。
 現状の破滅的な財政事情を鑑みるに、多少の国民負担増は止むを得ないと考えるが、同時に、優遇税制と宗教性を隠れ蓑にして、収益をあげている宗教法人に対して税金の支払いを求めるような課税制度に改めるべきではなかろうか。
 世のサラリーマンは、いよいよボーナスが支給される時期にさしかかっているが、なかには、10年間働いたのにも関わらず、今月もらうボーナスは入社2年目のボーナスよりも低いという国民もあるようだ。もちろん、その背景にはリストラがあるだろうが、それと同程度に総報酬制の実施も相当影響している。
 切り詰めた生活をしている国民の陰で、ベンツを乗り回している宗教関係者がいることをゆめゆめ忘れてはならない。
(執筆:論説主幹 大槻磐渓)
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